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追悼 スティーブ・ジョブズ

スティーブ・ジョブズが亡くなったんですね。年齢も近くその活躍を初期から見てきただけに、かなりショックです。

アップルからの引退を表明して、わずか二ヶ月しか経たずに訃報を聞くとは思いませんでした。

私自身はほとんどアップル製品を使ってこなかったにもかかわらず、ジョブズのアップルには常に関心を持ってきました。

若いときはトム・クルーズみたいでしたね
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ジョブズはゲーム・コンピュータのアタリで働きながら、一時期インドを放浪したりしていましたが、アップルを創業し、APPLE IIの成功でアップルを大企業にしました。

その後、大企業となったアップル社の体制を強化すべく自らCEOとして招聘したジョン・スカリーに、不本意にもアップルを追い出されることとなります。ネックスト社を創業してコンピュータ市場に再挑戦するものの思うようにはいかず、不遇の時代を過ごします。

ルーカス・フィルムのピクサーを引き受けたのがチャンスとなって、CGアニメをディズニーに売り込み制作した「トイ・ストーリー」の大ヒットで、ディズニーの大株主となりました。

そして、ネックスト社のOS技術を携えてアップルに返り咲きます。その後、立て続けにiMac、iBook、iPod、iPhone、iPadのヒット商品の数々を市場に送り出しました。

まるで、ハリウッド映画のようなダイナミックな経歴です。

60年代のヒッピー文化から2010年までの駆け抜けたという意味では、60年以上の年月を56年に凝縮して生きたのかもしれません。

新国立劇場『朱雀家の滅亡』1

昨日、初台にある新国立劇場の小劇場での公演『朱雀家の滅亡』を観て来ました。

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クラシックはマーラーだけ生を聴きに行きますが、同様に芝居は三島由紀夫の戯曲だけ観に行きます。

三島由紀夫の戯曲は、舞台の上で俳優が硬質で詩的な台詞をしゃべりまくるところに魅力があり、そういう意味ではリアリズムからもっとも遠い芝居です。

そういうアンチ・リアリズムの台詞の応酬の向こうに、この世のものではないものが見えて来て、ああいいなぁと思ってしまいます。能なども幽霊が登場人物だったりするので、芝居とはそういうものなのだろうと勝手に思っています。

他の人の芝居は観ないので、どうか分かりませんが…。

実は『朱雀家の滅亡』は以前中村伸郎主演のものを観ています。ネットで調べてみると、1971年9月ということらしいので、ちょうど40年前のことになります。1971年といえば三島の死の翌年、私はまだ高校生だったことになります。

記憶では大学生の頃のような気がするので、ほんとうかなぁと思うのですが、いずれにしてもその時は本当の面白さは分からなかったですね。

「みんなのライブ告知*掲示板」のサブドメイン化

今日から、「みんなのライブ告知*掲示板」をサブドメインにしました。

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http://livebbs.it-online.jp/

このブログを始めて、検索エンジンには非常によく拾ってもらえている気がしていますが、一方「みんなのライブ告知*掲示板」のほうは、なかなか検索で上位に来ることがありません。

そこで、「みんなのライブ告知*掲示板」をサブドメインにしてみることにしました。

何がいちばん違うかといったら、「驚天動地の音楽を聴かせてよ!」はサブドメインになっていることと、トップページがHTMLの静的ページに書き出しされていることだからです。

これまで「livebbs」というフォルダー名を使っていたので、これをそのままサブドメイン名としました。

「サブドメインにするなら、トップページはやはりindex.htmlにしなきゃ」ということで、HTMLへの静的ページの書き出しのプログラムにも挑戦してみました。静的ページの書き出しは初めての挑戦だったので、思わぬところで苦労してしまいましたが、何とか動いています。

とりあえず、この二つを実施してみて様子を見たいと思っています。

ムーディー・ブルースとコンセプト・アルバム

ムーディー・ブルースについては、プログレッシヴ・ロックの先駆と言われることも多いようです。ただ、プログレッシヴ・ロックが全盛となった1970年代においては、楽器のスーパー・テクニックを展開するというプログレの条件には当てはまらず、プログレ・バンドとして語られることはあまりなかったと思います。

たしかにスタジオ録音では素晴らしい演奏を聴かせてくれるのですが、ムーディー・ブルースのライヴは多少もの足りないものでした。わたしは武道館での来日公演を見ていますが、マルチ・キーボードが全盛で、ライヴでスタジオ録音の音を完璧に再現するのが流行ともいえる時期に、マイケル・ピンダーはメロトロン(おそらく特注品のピンダロンだったのだろうと思いますが)1台のみで終始し、ちょっとがっかりした記憶があります。

それでは、ムーディー・ブルースの最大の功績は何であったかといえば、コンセプト・アルバムを作り上げたことであると思います。

初のコンセプト・アルバムと言われて大きな話題となったのは、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』でした。

ビートルズの
『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』
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ビートルズは、『ハード・デイズ・ナイト』のころから、完成度の高いアルバムを作っていましたが、それは上質のアンソロジーともいうべき作品集で、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』でも本質は変わらず、架空のバンドが演奏するステージという額縁をはめたような作りです。

『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(リプライズ)』に続く『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』でコンサートが終わったあとの日常の虚無感を表現し、巨大な作品像を提示することに成功しましたが、その後はコンセプト・アルバムと呼ばれるアルバムはありません。

その半年後にムーディー・ブルースの『デイズ・オブ・フューチャー・パスト』が出ました。未来の一日を楽曲で表現した構成となって、よりコンセプト・アルバムと呼ぶにふさわしい作品となっています。

ムーディー・ブルースの
『デイズ・オブ・フューチャー・パスト』
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ムーディー・ブルースは地図を作りながら、アルバムを作っていたという話が伝わっています。実際どういうような地図であったのかは、よく知らないのですが…。

地図の恩恵がどの程度のものであったのかはともかく、その後もムーディー・ブルースは、コンセプト・アルバムを作り続けていきます。

ムーディー・ブルース

わたしがキング・クリムゾンより早くからよく聴いていたのが、ムーディー・ブルースです。

メロトロンを導入し、もっとも早くオーケストラとの競演を果たした『デイズ・オブ・フューチャーズ・パスト』。

マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』との関連を思わせるタイトルの『失われたコードを求めて』。これは内容的にはヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』との関連を感じます。

『失われたコードを求めて』
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幻想的な『夢幻』。原題は「夢の門出に」です。

アルバム一枚を聴く内に何千年も経ってしまう『子どもたちの子どもたちの子どもたちへ』。

シンセサイザーの音を早い時期に聴かせてくれた『クエッション・オブ・バランス』。アビー・ロードのシンセサイザーに気づかず、このアルバムがもっとも早いロックへのシンセサイザーの導入と思っていた時期もありました。

一般の人のあいだでもヒットとなった『童夢』。原題は「Every Good Boy Deserves Favour」で、「よい子はみんな認められる」みたいな意味だと思うんですが、邦題がよかったのか、日本製スーパー・カーの名前にもなりました。

『セブンス・ソジャーン』(当時の邦題は「神秘な世界」)は、マイケル・ピンダーのメロトロンを中心とした重厚な音世界に驚かされます。原題は「安息日」らしいです。

そして、実際にバンドも休止しちゃうんですね。

バンド・コンテストへのシード権の提案

話が「インディーズ・アーティストはどうすべきか」ではなくなってきました。どちらかと言えば、インディーズチケットオンラインは何をすべきかの話になってきましたが、ブログを書くという行為は、アイディアを生むベースとなるのかもしれません。

それはさておき本題です。これまでわたしが応援してきたインディーズ・アーティストも何組かいた訳ですが、残念に思うのは、オーディションやバンド・コンテストで優勝しても、大抵がそれ1回で終わってしまうということです。

キャリアを積み上げていくシステムがない。だから、スターが育たないのだと思います。

スターを育てないと、業界(ここではインディーズのことです)が発展しない。スターがいないので、バンドで人気がないキーボードのようなものです。

前回、文学賞のことを例に考えましたが、スポーツ界のことも参考になります。スポーツ界にはシードというシステムがあります。例えば、毎年正月の2日・3日に行われる箱根駅伝ですが、10位以内に入った大学は、翌年は予選に出場せずに本大会への出場権を獲得できます。

これをバンド・コンテスト等に取り入れられないかと思った訳です。一旦、何らか結果を出したバンドには、みんなで大いに注目しようよという提案です。

どこかのバンド・コンテストで優勝したバンドの出場枠を、別のバンド・コンテストの決勝戦に設けるというようなことはどうでしょうか? 応募が多ければ、抽選にしたりする訳です。

そうやって、キャリアを積み上げていけるようなシステムがあってもいいんじゃないかと思う次第です。

文学賞とレコード会社のオーディション

ということで、インディーズ・アーティストはこれからどうしていったらいいのか? ということになります。

わたしが書いてきたことを既に分かっていたアーティストの人も、漠然と期待するところは、やはりメジャー・デビューであったはずだと思います。

それは否定されるものではなく、あってよいシステムだと思います。

ただ、それしかアーティストが評価されるシステムがないというのが問題だと思っています。他に評価されるシステムを作るべきだということです。

もともと日本のメジャーは、不特定多数を狙ってほどほどのところを目指す体制なので、ものすごいものは出てこない体制でしたから、それでいい訳です。

レコード会社からのメジャー・デビューというこれまでの唯一の価値観に取って代わるシステムを作らないといけないと思っています。

さて、その糸口となる考え方ですが、例えば、文学賞なんていうものは、既存の出版物を対象とする賞では、出版社が主催するものであっても、自社の出版物だけでなく他社の出版物を含めて評価の対象とするものがあります。

例えば芥川賞なんかそうですね。主催は文藝春秋社ですが、自社の出版物であるかどうかに関わらず、選考対象としています。

一方、出版されていない応募作品を対象に選考する新人賞などは、レコード会社のオーディションに近いものがありますが、いずれにしても文学賞のほうが幅が広いような気がします。

違いはなにかと考えると、文学は書かれてしまえば、完成度のレベルや、芸術性の高さだけの問題として評価されるのに対し、音楽界の評価システムは、選ぶ側がその後関与して初めて完成されるという前提があって、選ばれる側はあくまで未完成のものという考え方だと思うんです。

ところがいまや、CD制作を含めて既にアーティスト側ですべて用意ができている場合がある訳です。だとすれば、違った評価のシステムがあってしかるべきと思う訳です。

デジタル・オーディオ・プレーヤーの功罪

昨日はレコード会社の置かれた状況について書いてみましたが、音楽のダウンロードだけが、レコード会社の経営を圧迫している訳ではないことは確かです。

しかしながら、iPod、携帯などデジタル・オーディオ・プレーヤーの普及によって起こっている状況にも、大きな問題があります。

CDを買ってもCDのまま聴くということがなくなってしまったという状況です。

これは、CDの商品性を大きく損なう結果となりました。CDを買ったとしても、CDをプレーヤーに掛けるのはたった一度取り込みの時だけというのでは、商品としては、偏頗なものと思わざるを得ません。

デジタル・オーディオ・プレーヤーは、音楽を身近なものにする功績はありましたが、CD等の物理的な入れものを必要としなくなったため、音楽をアルバム単位で聴くということで高められる作品性が希薄化する危機に瀕していると思います。

LPの時代には、30cm角の大きなジャケットがあることによって、アートとの融合の要素もありました。CDになって12cm角の小さなジャケットになってしまったことにより、利便性とのバーターでアートの要素は失われました。付加価値がどんどん小さくなっている訳です。

そういう点でも、いまはいろいろな岐路に立っていることを痛感しています。

レコード業界とメジャー・デビュー

アーティストとしての夢は、レコード会社からメジャー・デビューしてというのが第一だと思います。

しかしながら、これがお勧めできる道ではなくなってきているのも事実です。

元々レコード会社のシステムが最強だったのは、1971年までです。この年著作権法が改正されました。

それまではレコード会社が作詞家や作曲家を専属で抱えて、事実上レコード会社が楽曲の権利を持つ形になっていましたが、専属契約というのが認められなくなったのです。

それまではレコード会社は、アーティストと作詞・作曲家を専属契約にして抱え、録音スタジオを所有し、レコード原盤を製作・所有し、レコードの流通をコントロールすることによって絶対的支配力を持っていました。

当時はテレビの影響力も最強の時代で、3回テレビに出演すれば、一挙に大スターになれるという時代でしたから、レコード会社はテレビへの露出を利用して思うようにレコードを販売することができた訳です。

しかし、1971年以降に作家の専属がなくなったのをきっかけに、アーティストはレコード会社に席を置くのでは、アーティスト事務所に席を置いてプロモーションはアーティスト事務所が行う仕事になっていきます。

さらにアーティスト事務所が力をつけ、レコードの原盤製作も行うようになります。そうなると、レコード会社はレコードの工場生産と流通の仕事に限定されていくことになります。それが1980年頃の状況です。

流通も、卸はレコード会社とは独立したところが成長し、いまではプロモーションの力と資金があれば、誰でもレコード会社を明日からでも立ち上げられる状況となりました。

業務の範囲が縮小し、音楽がデジタル化して流通もオンライン化され、さらに支配力の縮小を余儀なくされている現在、レコード会社の力がなくなるのは当然の結果となっています。

CD不況などと言われていますが、レコード会社は40年掛けてずっと下り坂を下ってきている訳です。

もちろん、レコード会社も系列のアーティスト事務所を持って頑張ろうとしている訳ですが、メジャー・デビューを目指すというイメージは、現実とズレがあるというのが、正直な感想です。

マス・メディアでのヒットへの道が、昔はメジャー・デビューとテレビ出演であったとすれば、いまやヒットへの道はタイアップのみとも言える状況です。そのため、人気俳優を抱えるタレント事務所に所属して目を掛けられたりすると、俳優が出演する番組のテーマ曲にタイアップで押し込んでもらえたりして、一躍メジャー・ヒットになったりする訳です。

新人のデビュー曲がいきなりテレビ番組のテーマ曲に採用されたりすることがありますが、大抵はこういったケースです。

テーマ曲が先に決まって、セットで俳優が売り込まれるという逆のケースはありそうにないことを考えると、有力俳優を抱えてミュージシャンも扱っているタレント事務所との契約を目標とする必要がありそうです。

速読法

前回は、ミュージシャン=アスリート説というのを書きましたが、まあ何をやっていたとしても、選手寿命というのはありそうです。

よく速読法というのが紹介されています。わたしは昔は本、それも小説ばかり読んでいましたが、読むのは遅い方です。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』全10巻を読み終わるのに10年以上掛かりました。翻訳の刊行が遅れたという事情もあったのですが、そんなものです。

小説を味わうのに速読法が必要とは思われなかったので、速読を学ぼうと考えたことはないのですが、速読の方法についての解説は読んだことがあります。声を出して読むように黙読したのではだめだと書いてあります。

目を行にさーっと走らせていく。そうやって意味を頭に入れていくようにするらしいです。そのほうが絶対速い。

さらにその上をいくには、ページをぱっと見て、スキャナーでスキャンをするように、ページごと画像を頭に入れていくようにするらしいです。

それは分かったとして、40歳を過ぎると徐々に老眼が進んで来ます。ページをぱっと見てページごと頭に入れていくとは言われても、ページをぱっと見ても端から書かれている字が見えてないという事態になります。

とすると、速読法をマスターしていた人は、50歳で速読法から引退となるんでしょうか?

最近では、声を出して読むより、字を見て黙読するほうが遅くなりそうです。

音に関しても、高い音は聞こえなくなっているらしいですが、目のように不自由を感じることはありません。耳は目ほどの劣化はないんでしょうか。

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筆者のプロフィール

  • 竹内 晃

  • 1953年巳年生まれ
    電子楽器メーカーコルグに30年間勤務。退職後インディーズチケットオンラインを立ち上げ、現在に至る。

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