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ムーディー・ブルース

わたしがキング・クリムゾンより早くからよく聴いていたのが、ムーディー・ブルースです。

メロトロンを導入し、もっとも早くオーケストラとの競演を果たした『デイズ・オブ・フューチャーズ・パスト』。

マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』との関連を思わせるタイトルの『失われたコードを求めて』。これは内容的にはヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』との関連を感じます。

『失われたコードを求めて』
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幻想的な『夢幻』。原題は「夢の門出に」です。

アルバム一枚を聴く内に何千年も経ってしまう『子どもたちの子どもたちの子どもたちへ』。

シンセサイザーの音を早い時期に聴かせてくれた『クエッション・オブ・バランス』。アビー・ロードのシンセサイザーに気づかず、このアルバムがもっとも早いロックへのシンセサイザーの導入と思っていた時期もありました。

一般の人のあいだでもヒットとなった『童夢』。原題は「Every Good Boy Deserves Favour」で、「よい子はみんな認められる」みたいな意味だと思うんですが、邦題がよかったのか、日本製スーパー・カーの名前にもなりました。

『セブンス・ソジャーン』(当時の邦題は「神秘な世界」)は、マイケル・ピンダーのメロトロンを中心とした重厚な音世界に驚かされます。原題は「安息日」らしいです。

そして、実際にバンドも休止しちゃうんですね。

バンド・コンテストへのシード権の提案

話が「インディーズ・アーティストはどうすべきか」ではなくなってきました。どちらかと言えば、インディーズチケットオンラインは何をすべきかの話になってきましたが、ブログを書くという行為は、アイディアを生むベースとなるのかもしれません。

それはさておき本題です。これまでわたしが応援してきたインディーズ・アーティストも何組かいた訳ですが、残念に思うのは、オーディションやバンド・コンテストで優勝しても、大抵がそれ1回で終わってしまうということです。

キャリアを積み上げていくシステムがない。だから、スターが育たないのだと思います。

スターを育てないと、業界(ここではインディーズのことです)が発展しない。スターがいないので、バンドで人気がないキーボードのようなものです。

前回、文学賞のことを例に考えましたが、スポーツ界のことも参考になります。スポーツ界にはシードというシステムがあります。例えば、毎年正月の2日・3日に行われる箱根駅伝ですが、10位以内に入った大学は、翌年は予選に出場せずに本大会への出場権を獲得できます。

これをバンド・コンテスト等に取り入れられないかと思った訳です。一旦、何らか結果を出したバンドには、みんなで大いに注目しようよという提案です。

どこかのバンド・コンテストで優勝したバンドの出場枠を、別のバンド・コンテストの決勝戦に設けるというようなことはどうでしょうか? 応募が多ければ、抽選にしたりする訳です。

そうやって、キャリアを積み上げていけるようなシステムがあってもいいんじゃないかと思う次第です。

文学賞とレコード会社のオーディション

ということで、インディーズ・アーティストはこれからどうしていったらいいのか? ということになります。

わたしが書いてきたことを既に分かっていたアーティストの人も、漠然と期待するところは、やはりメジャー・デビューであったはずだと思います。

それは否定されるものではなく、あってよいシステムだと思います。

ただ、それしかアーティストが評価されるシステムがないというのが問題だと思っています。他に評価されるシステムを作るべきだということです。

もともと日本のメジャーは、不特定多数を狙ってほどほどのところを目指す体制なので、ものすごいものは出てこない体制でしたから、それでいい訳です。

レコード会社からのメジャー・デビューというこれまでの唯一の価値観に取って代わるシステムを作らないといけないと思っています。

さて、その糸口となる考え方ですが、例えば、文学賞なんていうものは、既存の出版物を対象とする賞では、出版社が主催するものであっても、自社の出版物だけでなく他社の出版物を含めて評価の対象とするものがあります。

例えば芥川賞なんかそうですね。主催は文藝春秋社ですが、自社の出版物であるかどうかに関わらず、選考対象としています。

一方、出版されていない応募作品を対象に選考する新人賞などは、レコード会社のオーディションに近いものがありますが、いずれにしても文学賞のほうが幅が広いような気がします。

違いはなにかと考えると、文学は書かれてしまえば、完成度のレベルや、芸術性の高さだけの問題として評価されるのに対し、音楽界の評価システムは、選ぶ側がその後関与して初めて完成されるという前提があって、選ばれる側はあくまで未完成のものという考え方だと思うんです。

ところがいまや、CD制作を含めて既にアーティスト側ですべて用意ができている場合がある訳です。だとすれば、違った評価のシステムがあってしかるべきと思う訳です。

デジタル・オーディオ・プレーヤーの功罪

昨日はレコード会社の置かれた状況について書いてみましたが、音楽のダウンロードだけが、レコード会社の経営を圧迫している訳ではないことは確かです。

しかしながら、iPod、携帯などデジタル・オーディオ・プレーヤーの普及によって起こっている状況にも、大きな問題があります。

CDを買ってもCDのまま聴くということがなくなってしまったという状況です。

これは、CDの商品性を大きく損なう結果となりました。CDを買ったとしても、CDをプレーヤーに掛けるのはたった一度取り込みの時だけというのでは、商品としては、偏頗なものと思わざるを得ません。

デジタル・オーディオ・プレーヤーは、音楽を身近なものにする功績はありましたが、CD等の物理的な入れものを必要としなくなったため、音楽をアルバム単位で聴くということで高められる作品性が希薄化する危機に瀕していると思います。

LPの時代には、30cm角の大きなジャケットがあることによって、アートとの融合の要素もありました。CDになって12cm角の小さなジャケットになってしまったことにより、利便性とのバーターでアートの要素は失われました。付加価値がどんどん小さくなっている訳です。

そういう点でも、いまはいろいろな岐路に立っていることを痛感しています。

レコード業界とメジャー・デビュー

アーティストとしての夢は、レコード会社からメジャー・デビューしてというのが第一だと思います。

しかしながら、これがお勧めできる道ではなくなってきているのも事実です。

元々レコード会社のシステムが最強だったのは、1971年までです。この年著作権法が改正されました。

それまではレコード会社が作詞家や作曲家を専属で抱えて、事実上レコード会社が楽曲の権利を持つ形になっていましたが、専属契約というのが認められなくなったのです。

それまではレコード会社は、アーティストと作詞・作曲家を専属契約にして抱え、録音スタジオを所有し、レコード原盤を製作・所有し、レコードの流通をコントロールすることによって絶対的支配力を持っていました。

当時はテレビの影響力も最強の時代で、3回テレビに出演すれば、一挙に大スターになれるという時代でしたから、レコード会社はテレビへの露出を利用して思うようにレコードを販売することができた訳です。

しかし、1971年以降に作家の専属がなくなったのをきっかけに、アーティストはレコード会社に席を置くのでは、アーティスト事務所に席を置いてプロモーションはアーティスト事務所が行う仕事になっていきます。

さらにアーティスト事務所が力をつけ、レコードの原盤製作も行うようになります。そうなると、レコード会社はレコードの工場生産と流通の仕事に限定されていくことになります。それが1980年頃の状況です。

流通も、卸はレコード会社とは独立したところが成長し、いまではプロモーションの力と資金があれば、誰でもレコード会社を明日からでも立ち上げられる状況となりました。

業務の範囲が縮小し、音楽がデジタル化して流通もオンライン化され、さらに支配力の縮小を余儀なくされている現在、レコード会社の力がなくなるのは当然の結果となっています。

CD不況などと言われていますが、レコード会社は40年掛けてずっと下り坂を下ってきている訳です。

もちろん、レコード会社も系列のアーティスト事務所を持って頑張ろうとしている訳ですが、メジャー・デビューを目指すというイメージは、現実とズレがあるというのが、正直な感想です。

マス・メディアでのヒットへの道が、昔はメジャー・デビューとテレビ出演であったとすれば、いまやヒットへの道はタイアップのみとも言える状況です。そのため、人気俳優を抱えるタレント事務所に所属して目を掛けられたりすると、俳優が出演する番組のテーマ曲にタイアップで押し込んでもらえたりして、一躍メジャー・ヒットになったりする訳です。

新人のデビュー曲がいきなりテレビ番組のテーマ曲に採用されたりすることがありますが、大抵はこういったケースです。

テーマ曲が先に決まって、セットで俳優が売り込まれるという逆のケースはありそうにないことを考えると、有力俳優を抱えてミュージシャンも扱っているタレント事務所との契約を目標とする必要がありそうです。

速読法

前回は、ミュージシャン=アスリート説というのを書きましたが、まあ何をやっていたとしても、選手寿命というのはありそうです。

よく速読法というのが紹介されています。わたしは昔は本、それも小説ばかり読んでいましたが、読むのは遅い方です。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』全10巻を読み終わるのに10年以上掛かりました。翻訳の刊行が遅れたという事情もあったのですが、そんなものです。

小説を味わうのに速読法が必要とは思われなかったので、速読を学ぼうと考えたことはないのですが、速読の方法についての解説は読んだことがあります。声を出して読むように黙読したのではだめだと書いてあります。

目を行にさーっと走らせていく。そうやって意味を頭に入れていくようにするらしいです。そのほうが絶対速い。

さらにその上をいくには、ページをぱっと見て、スキャナーでスキャンをするように、ページごと画像を頭に入れていくようにするらしいです。

それは分かったとして、40歳を過ぎると徐々に老眼が進んで来ます。ページをぱっと見てページごと頭に入れていくとは言われても、ページをぱっと見ても端から書かれている字が見えてないという事態になります。

とすると、速読法をマスターしていた人は、50歳で速読法から引退となるんでしょうか?

最近では、声を出して読むより、字を見て黙読するほうが遅くなりそうです。

音に関しても、高い音は聞こえなくなっているらしいですが、目のように不自由を感じることはありません。耳は目ほどの劣化はないんでしょうか。

ミュージシャンとアスリート

わたしが若いときから聴いてきたご贔屓のミュージシャンは、みんな60歳を超えて、コンサートに行っても、残念ながら期待したような演奏は聴けなくなってしまいました。

去年の5月に来日したエイジアのライブでは、カール・パーマーがドラムでフィルインを入れる度に、リズムを見失うようでした。フィルインの16分音符の最後のほうが、正確に叩き切れていないような気がしました。リズムを見失うのは、そのためでしょうか。

「そんな馬鹿な」と思いましたが、そのうちギターのスティーヴ・ハウと顔を見合わせて、演奏を続けるシーンがありました。

カール・パーマーのドラム・ソロが入って、多少調子を取り戻したのか、その後の曲ではそれほどおかしい場面はなくなりましたが、年齢とはそれほどおそろしいものかと思いました。

来日の直前にニュー・アルバム『オメガ』が発売されたばかりで、アルバムの内容も素晴らしいものだったので、かなり期待して行ったのですが、愕然として帰ってきました。

エイジア 『オメガ』
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ライブハウスへ行ってインディーズ・ミュージシャンの演奏を聴くと、そういう意味ではものすごく上手いと感じます。特にドラムなんかは、日本の若い人は本当に上手いと感心して聴いています。

スポーツ選手は、明らかに年齢で選手寿命が決まっています。体操、水泳、フィギア・スケートは25~30歳くらい。野球、サッカーだと35~40歳くらいでしょうか。

音楽の場合、20代の音楽と40代の音楽では質も違いそうですが、ミュージシャンとして安心して聴けるのは、50歳くらいまでなのでしょうか。

エリック・クラプトンが「50歳の頃の自分はすごかった」と語っている記事を雑誌で見た記憶があります。

マルチ・キーボーディスト リック・ウェイクマン

シンセサイザーとメロトロンの話を書きましたが、最近のバンドでキーボードは人気がありませんね。プレーヤーとしてのスターがいませんからね。

だいたいキーボードのスターと呼べるのは、リック・ウェイクマンとキース・エマーソンくらいしかいませんでした。

確か素晴らしいキーボーディストは他にもいました。ジェネシスのトニー・バンクス、UKのエディー・ジョブソン、ディープ・バープルのジョン・ロード、ピンク・フロイドのリック・ライトとか。でも、スターだったかと言えば難しいところです。

さらにマルチ・キーボーディストと呼べるとしたら、リック・ウェイクマンひとりしかいないと思っています。マルチ・キーボーディストの定義を「複数のキーボードを並べてひとつの楽器のように弾く演奏家」とすれば、です。

リック・ウェイクマン
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イエスに在籍した1970年代の前半が、絶頂期でした。わたしは1972年に初来日したイエスを神田共立講堂で見ました。腰までの金髪をなびかせ、マントを翻して、ずらりと並べたキーボード群をまるでひとつの楽器のように弾いたあの雄姿は忘れられません。

キース・エマーソンは自分のリードでの演奏しか出来そうにありませんが、リック・ウェイクマンは、既存のバンドに加わったり、ソロ・アーティストのサポートに入ったりしてもすごい。イエスの場合は、自らのソロ作品では出せないような素晴らしいキーボードソロを聴かせてくれます。

イエスの「危機」でのハモンド・オルガン・ソロ、「神の啓示」(海洋地形学の物語)でのモーグ・シンセサイザー・ソロ、「パラレルは宝」(究極)でのパイプ・オルガン・ソロはロック史上最高のキーボード・ソロです。バンドの演奏が、あたかも海の大波が盛り上がり限界に達して波頭が崩れ落ちる、そうした瞬間に満を持してキーボード・ソロが飛び出して来ます。イエスとリック・ウェイクマンとの組み合わせ以外ではありえない名演です。

リック・ウェイクマンが参加したアルバムには、アル・スチュワート『オレンジ』、ストローヴス『魔女の森から』なんていう名盤もあります。

リック・ウェイクマンのソロ・アルバムは必ずしも名盤とは言えませんが、『アーサー王と円卓の騎士たち』は紛れもない傑作です。

リック・ウェイクマン 『アーサー王と円卓の騎士たち』
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彼のようなスターがあとひとりふたりいたら、キーボードの世界も変わっていたのかもしれません。

メロトロン

シンセサイザーよりも早くロックに導入され、わたしを含めた多くの人を魅了したキーボードがありました。メロトロンです。

メロトロン
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メロトロンは、3オクターブの鍵盤ひとつひとつにテープレコーダーのテープと再生ヘッドを付け、7秒間だけ再生して、テープをバネで巻き戻す構造の楽器です。シンセサイザーと違って、当時としても、どちらかと言えばローテクな部類となる装置でした。

テープには生楽器の音色や伴奏音楽を録音して、自動演奏機としての利用も考えていたようです。

いずれにしても、音楽のためにローテクでメンテナンスの大変な、このような楽器を作ってしまったイギリスという国に喝采を送った記憶があります。日本は何事につけ合理的ですからね。(ただし、コルグという楽器メーカーは多少違っていたかもしれません。わたしが入社した当時は、61鍵すべてに独立した発信器のついたキーボードがありました。)

さて、ロックに導入されて世に出た最初の音源は、これもやはりビートルズで1967年の「ストローベリー・フィールズ・フォーエヴァー」です。

ビートルズは、この曲でメロトロンをフルート音をメインに使っています。

ストローベリー・フィールズ・フォーエヴァー」
が収録されている「『マジカル・ミステリー・ツアー』
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ビートルズの場合はこの頃から既にライヴをやらなくなっていたことや、ジョージ・マーティンのサポートにより、生の楽器が自由に使えたこともあって、その後メロトロンを使い続けることはありませんでした。

その後の使われ方をみれば、メロトロンの本領というべき音色は何といってもストリングス系の音色かと思います。その意味でも、メロトロンが継続的に使われる端緒となったのは、その約半年後に出たムーディー・ブルースの『デイズ・オブ・フューチャー・パスト』(当時の邦題「サテンの夜」)だろうと思います。

ムーディー・ブルース 『デイズ・オブ・フューチャー・パスト』
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その後メロトロンは、キングクリムゾン、イエス、ジェネシスと名だたるバンドに使われ、イギリスや、ヨーロッパのプログレ・シーンに欠かせない楽器となっていきました。

シンセサイザー

わたしはコルグという楽器メーカーに勤めていました。なぜコルグに入社したかと言えば、高校生の頃にシンセサイザーが楽器として発展し、魅了されたからです。

シンセサイザーが「電子音楽」と呼ばれる現代音楽の1ジャンルではなく、普通の音楽として世に出たのは、ワルター・カーロスの『スイッチト・オン・バッハ』が最初でした。

ワルター・カーロス 『スイッチト・オン・バッハ』
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初期のシンセサイザーは、モノフォニックの楽器というか装置でした。そのため、対位法という線的作曲技法による楽曲が演奏しやすかったという理由があったかと思いますが、バッハの「ブランデンブルグ協奏曲」とかを、一声部ずつ演奏し、テープ・レコーダーに多重録音して完成させたのが『スイッチト・オン・バッハ』です。

ロックにおいては、もっとも早い時期にシンセサイザーの優れた使い方で、実際に楽曲で使ってみせたのは、ビートルズでした。アルバム『アビー・ロード』で、1969年の発売です。

ビートルズ 『アビー・ロード』
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当時は日米の流行には時差がありました。『スイッチト・オン・バッハ』は米国での発売は1968年で一年早いのですが、レコードが日本で発売されたのは1969年になってからです。話題になってヒットしたのは、おそらく『アビー・ロード』よりあとではなかったかと思います。

ビートルズはスーパー・スターなので、既に全世界同時発売的に動いていました。

『アビー・ロード』に数ヶ月先だって、メンバーのジョージ・ハリスンが『電子音楽の世界』というソロ・アルバムを出しており、シンセサイザーはジョージ・ハリソンがスタジオに持ち込んだものかもしれません。

『アビー・ロード』がシンセサイザーの優れた使い方をしたと言ったのは、40年経ったいまと同じシンセサイザーの使い方を既にしていたからです。

そこで、あとから『アビー・ロード』を聴き直して、「これってシンセじゃないか!」と驚いた訳です。

その後、シンセサイザーは、エマーソン・レイク&パーマー、ピンク・フロイドなどに使われて、ロックの世界に浸透していきました。

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筆者のプロフィール

  • 竹内 晃

  • 1953年巳年生まれ
    電子楽器メーカーコルグに30年間勤務。退職後インディーズチケットオンラインを立ち上げ、現在に至る。

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