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2011年6月19日のライブ

昨日のライブは、渋谷aubeでした。aubeは5周年を迎えて、6月13日から27日までが「Anniversary PICK UP DAY」の期間中でした。

TRICKandTREATを見に行ったのですが、5周年企画のせいか出演バンド全部がすばらしい演奏で、大いに楽しませてもらいました。

「aube shibuya 5th Anniversary」以外のタイトルはついていませんでしたが、女性ヴォーカル特集だったのかもしれません。

【aube shibuya 5th Anniversary】
2011年6月19日(日) 渋谷aube 開場18:00 開演18:30
出演:JUNK4ELEMENTS / tsubamellia / TRICKandTREAT / LingeringScent / PINKY PIGRETS

そのTRICKandTREATは、後半に演奏した新曲と思われる曲が、Aメロからは想像もつかないサビの展開を見せ驚きました。

TRICKandTREAT
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このところ考えているのは、驚かすというのはとても大切な要素であることと、本当の驚きであれば、何度聴いても驚くものだということです。オチが分かってしまえば終わりという、1回限りの驚きとは別のものがあるということです。

その驚きは音楽的なものだと思われたので、本物かどうかぜひもう一度聴いてみたいと思いました。

LingeringScent
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ステージ全体としてよかったのは、そのあとのLingeringScentとPINKY PIGRETSでした。

LingeringScentのメイン・ヴォーカルの発声はジュディー&マリー時代のYUKI風の、個人的にはあまり好きな発声ではないのですが、楽曲にはひねりもあって、しっかりした演奏とメンバー全員揃ってのコーラス等聴き所もいっぱいあったステージです。ベースがMCでボケをかましていたが、ステージの流れを切ることなく、これも感心しました。

PINKY PIGRETS
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PINKY PIGRETSは、ノリノリで盛り上げるタイプですが、ステージングも上手く、トリにふさわしいパフォーマンスでした。演奏ではギターが実にいい音を出していました。

デジタル・カメラの仕様:Bits per pixel

今日はこれからライヴを見に行くため、またカメラの話題です。

デジタル・カメラの性能を比較する際、一般にはあまり比較対照とならない仕様に「Bits per pixel」というのがあります。

普及品タイプのカメラには書いてないこともあります。高級機タイプでは必ず書いてあり、たいていは12ビットか14ビットになっています。

日本語のカタログなんかでは「画像タイプ」などという項目の中に書かれていて、何の数字か多少あいまいです。英語のカタログだと「Bits per pixel」という項目になります。ピクセルあたりのビット数ということなので、階調を表しているのだと思います。

この数字が撮像素子から画像処理エンジンに渡すデータのビット数なのか、画像処理エンジンで生成する画像のビット数なのか、実はよく知りません。

ただいずれにしても、2ビット違うということは、階調が4倍細かいということですから、14ビットに越したことはありません。幸いわたしのカメラは14ビットになっていました。

前回カメラについて書いたとき、トーンカーブの調整について書きましたが、トーンカーブの調整をするということは、階調の一部を拡大することになります。

ということは、通常の階調表示では12ビットでじゅうぶんでも、トーンカーブを調整する際には14ビットのほうが望ましいはずです。

ライヴを撮ろうと思って買った最初のカメラは、12ビットでした。試しに以前そのカメラで撮った写真で、トーンカーブの調整をしてみましたが、あまりいい結果は出ませんでした。もちろん他の要素が影響しているかもしれません。

コンデジではほとんどの機種が12ビットのようです。一眼レフを購入する際も、14ビットであることを一応選択のポイントにしようと思っています。

エマージェンザ・ミュージック・フェスティバル2011日本決勝戦

今年もエマージェンザ・ミュージック・フェスティバル2011の日本決勝戦が近づいてきました。わたしも毎年楽しみにしているイベントです。

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■2011年7月2日(土)渋谷O-EAST 16:00開場 16:30開演
ADV: 3000 / DOOR: 3500 (ドリンク別)

■決勝出場バンド
AO (Rock '90)
Jill (Pop rock)
VARRET (Rock)
Arisa Safu and the Rovers (Rock)
ピンクシガレット (Rock)
Resolutique (Punk rock)
日本少年 (Pop)
Board Sole (Pop rock)
pinfla (Rock)
WHERE'S ANDY (Emo power pop)
S.H.E (Rock)
SPANK THE AGE (Emo Pop Punk)
【ゲスト出演】Gacharic Spin

このフェスティバルの日本予選ですが、不思議なことに出てくる情報が年ごとに少なくなってきています。

十数カ国で予選が行われ、さらに各国の優勝バンドが一堂に会してドイツのローテンブルク・オプ・デア・タウバー市で国際決勝を行なう素敵なイベントです。

端から見る限り、運営もしっかり行われているようですので、もっとどんどん多くの人に告知して、盛り上げていったらいいと思うのですが、なぜかそうなっていません。閉じた世界の中だけのイベントで終わっています。

インディーズチケットオンラインでは、その疑問からできる範囲で情報を集めて、情報提供を行っています。

決勝戦は渋谷O-EASTで行われ、会場も大きく出場バンドのレベルも高い楽しいイベントですので、皆さんにもぜひ見に行かれることをお勧めします。

チケットは出場バンドから購入するシステムですので、上記リンクから応援したいバンドを探して購入してください。

マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』

よく「無人島に1冊だけ持って行くとしたら、何の本を持って行きますか?」という問があります。

もしわたしが聞かれたら、『豊饒の海』と『失われた時を求めて』と答えようと思っています。

『豊饒の海』が四冊、『失われた時を求めて』が十冊(筑摩書房版)で、計14冊にもなるので、反則だろうと思いますが、わたしにとってのこれ以外の答えはありません。

『失われた時を求めて』は、両親に買い揃えてもらった世界文学全集に、そのうちの一編である「花咲く乙女たちのかげに」が含まれていたことや、高校時代の国語の先生が、意識の流れによる二十世紀文学の原点としてマルセル・プルーストやジェームズ・ジョイスのことを熱く語っていたことにより、深く脳裏に刻まれた名前でした。

マルセル・プルースト
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全巻を通して読むきっかけとなったのは、わたしが大学生のときに刊行が開始され始めた井上究一郎氏による個人全訳の出版でした。

井上究一郎訳 『失われた時を求めて』(ちくま文庫)
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『失われた時を求めて』は、何よりそのタイトルに惹かれました。そのものずばりの究極のタイトルであり、文学書としてこれ以上のものは考えられないタイトルです。

作品は全七編からなります。プルーストが生前に刊行できたのは、第四編の「ソドムとゴモラ」までで、それ以降の巻は残された草稿を、プルーストの死後、整理して発刊されたものです。

死の直前に草稿としては、最終刊まで書き終えていたとはいえ、プルースト特有の徹底した推敲を経てはおらず、じゅうぶん文学的感興を得られるのは第五編の「囚われの女」までです。第六編の「逃げ去る女」または「消え去ったアルベルチーヌ」になると、輝きが間歇的に明滅し、最終巻の「見出された時」では、残念ながら読んでいるわたしには時は見出されませんでした。

それでも、第一編の「スワン家のほうへ」を始めとする、前半の文学的密度は比類を絶して高く、これ以上の小説はないと思われる作品です。

このブログの以前の回で書いたように、わたしに「失われた時」をもっとも強く感じさせたのは『豊饒の海』であって、その意味でわたしにとっては、無人島へ持って行く2冊で1セットなのです。

写真は「選択の芸術」

14日の写真は、おかげさまで結構よく撮れていました。

ISO感度を上限が400のオートにして撮っているのですが、ISO100とか200とか、低感度で撮れた写真がいくつもありました。下北沢REGの照明が、比較的明るかったことが幸いしたようです。低感度で撮れると、やっぱり画面はノイズが少なくきれいです。

わたしの場合、バンドならメンバー全員をいっしょに撮ろうとします。全員で撮ったときにカッコよくないといけない。バンドとはそういうものだと思っています。

そうなると、メンバーひとりひとりが絵になって、一枚の写真の中に収まっていないといけません。ピントは基本、メイン・ヴォーカルなどのフロント・プレーヤーに合っている必要があります。そして照明も画面を美しく彩っていなければなりません。

そういった瞬間は、やはり偶然の力を借りないと捕らえられません。数多く撮った写真の中からの選択が必要になります。

以前、写真雑誌の記事に「写真はある意味、選択の芸術ですから」という文章が載っていて、共感したことを思い出しました。

自然の風景や建物の撮影の場合、あるいは人物でも記念撮影とか、モデルとして被写体になってくれるとかの場合は、撮り方を工夫しながら画面を作っていくことができます。一方で、スポーツだとかの場合は、一度だけのシャッター・チャンスを逃さず撮れるかどうかが勝負のこともあります。

ライブハウスの撮影は、シャッター・チャンスは一度だけではありませんが、画面を作っていくこともできませんので、撮った中から選び出す作業の比重が大きくなります。

それで「選択の芸術」という説に納得する訳です。

2011年6月14日のライブ

昨夜見てきたライブのレポートです。

会場は下北沢レッグです。実は、下北沢の街はわたしにとって分かりにくい場所です。ライブハウスが多く、もう10回以上も行っているのに、地図を持たずに歩き回ると必ず道に迷います。

昨日は事前に地図をしっかり確認してから出向き、同じ道を往復したので問題はありませんでしたが、方角が掴みにくい街です。

【TRATTORIA MUSICA】
2011年6月14日(火)開場18:00 開演18:30
出演:うすいはなこ/Rainy/もんとs/trophy/stress/Sound Pocket

下北沢レッグは、比較的新しいライブハウスで非常にきれいな会場でした。

照明がLEDのようで、ステージの色が瞬間で変わるのに驚きました。ランプの照明だとランプに貼ったフィルムで色を作っているので、赤い照明を消灯して、別の位置の青い照明を点灯してという手順になりますから、フワーっと色が変わっていきますが、LEDだと同じ場所の照明が、ストロボ照明のようなタイミングで色を変えるのです。

お目当てはRainyです。Rainyは、去年の12月に初めて見て、ぜひもう一度見たいと思っていたバンドだったのですが、年を明けて曲作りためということでライブ休止に入ってしまいました。半年ぶりの東京でのライブ再開です。

Rainy
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久々のライブということもあり、セットリストが新曲中心だったこともあり、いまひとつ調子が出ていない感じがありましたが、それでも演奏はじゅうぶん楽しめるものでした。

肩肘張って評価して、いいバンドだと思うのではなく、リラックスして聴いて、いいバンドだなと感じた訳ですが、何故かと考えてみました。

しっかりした楽曲、曲を表現しきれるヴォーカル、そこそこのオリジナリティ、演奏で聴かせられる部分があり、バンドとしての最低限のヴィジュアル、そういったものがRainyの場合、ひととおり揃っているんだろうなというのが結論です。

その他では、Sound Pocketが非常に上手い演奏を聴かせてくれました。ちょっと普通になりすぎる心配もありました。わたし的には、もう少し冒険して欲しいと思った次第です。

Sound Pocket
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写真加工:トーンカーブ

今日はこれから、ライヴを見に行くので、また少しカメラのことを考えてみたいと思います。

デジタル写真の後加工のソフトウェアには、「トーンカーブ」という機能があります。実は最近、ライブハウスでの撮影の条件、ライティングが逆光、あとは暗いという場合、これがなかなか効果的なことに気がつきました。

音の加工にもダイナミックをトーンカーブで補正するのがありますが、考え方はまったくいっしょです。

ユーザーインターフェースも下記のような感じで、音の場合と似ています。
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こうすると写真が明るくなります。
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こうすると写真が暗くなります。
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以前、写真はISO感度、F値(絞り)、シャッター・スピードの3つでコントロールすると書きました。フィルム・カメラの場合は、フィルムの特性は物理的に決まっていますので、カメラ側ではいじりようがありませんが、デジタル・カメラの場合は実はこのトーンカーブが加わっているのではないかと思っています。

というのは、いま使っているSamsungのカメラで暗い場所でシャッター・スピード優先でブラケット機能を使って試し撮りしたことがあります。ブラケット機能というのは、露出補正を「0」と「+1」と「-1」の3つに設定を仕分けて連射するという、適正露出を得るための機能です。

撮った写真のデータを見ると、露出補正が「0」のとき既にF値が解放、つまり絞りが最大に開いて、いちばん明るく撮れる設定になっていました。

シャッター・スピード優先なのでシャッター・スピードは固定され、ISOも固定ですから、これでは「+1」でもこれ以上明るくは撮れないはずです。ところが、写真はちゃんと3枚で明るさが変わっていました。

ということは、ISO感度、F値(絞り)、シャッター・スピードの3つでコントロールしきれなくなった場合、カメラはトーンカーブをいじっているのではないかと思った訳です。

萩原朔太郎の『月に吠える』『青猫』

前回は小説の文章について書いたので、詩についても書いておきたいと思います。

詩を「分からない」って言うひとがいますよね。まあ、クラシックが分からない、ジャズが分からない、美術が分からないとか、よく言われます。

でも不思議なことに、ロックが分からないっていうのは、あまり聞いたことがありません。

わたしも詩は最初分からなかったんで、「分からない」っていう意味は、よく分かります。わたしの場合、萩原朔太郎の『月に吠える』『青猫』を読んで、初めて詩が分かると思ったんですね。

『萩原朔太郎詩集』 (新潮文庫)
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クラシックは、マーラーを聴いて初めて本当に分かったと思いました。ジャズはマル・ウォルドロンを聴いて、初めて分かった気がしました。

出会いが必要なのかもしれません。

萩原朔太郎は、独特の古風なぼんやりした哀愁に強く惹かれました。蒼古とした情緒と言ったらいいでしょうか。それが強烈なイメージで目の前に迫って来ます。言葉のイメージを喚起する力に驚きました。

ぼんやりした哀愁というのは、『月に吠える』だと「内部に居る人が畸形な病人に見える理由」、『青猫』だと「時計」とかのことです。

しかし、日本語の詩は言葉自体が既に独特のリズムを持っています。

音楽にはなりにくいなぁと思ってしまうんですよね。日本語の歌は、詩とは別の日本語を必要とする気がしています。

小説の文章

三島由紀夫の文章は非常に密度の高い文章です。

最初のたった1ページの描写で、物語の背景となる場所の風景がまざまざと目に浮かんできます。

その後、小説に必要とされなくなったのか、風景描写そのものが次第に衰退していきます。その兆候は、三島と同世代の安部公房や少し後の世代の大江健三郎あたりから、感じられます。

大江健三郎 『万延元年のフットボール』 (講談社文芸文庫)
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安部公房 『箱男』 (新潮文庫)
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物語の舞台がリアルに目に浮かばなくなり、空気感が薄く、そのため、ある意味息苦しさを感じるようになりました。抽象性が強くなったような気がします。

ロックにおいて、パンク・ロック以降ロックは、幾分かにせよポスト・パンクの性格を帯びるようになったことと似ているかもしれません。

いまの口語体の文章は、明治以降に作られたものです。明治20年頃に二葉亭四迷による言文一致運動があって、森鴎外は文語体と口語体の両方で小説を書き、夏目漱石によって口語体の日本語は、ほぼ完成に近づきました。

まるで、日本語のロックを作るのに、はっぴいえんどを始めとする先人達の努力があったのと似ています。

その口語体の文章は、戦後まで発展を続けて、川端康成、三島由紀夫あたりで頂点を極め、安部公房、大江健三郎によって方向転換を果たすのかもしれません。

いまの小説はその延長にあります。そのせいか、村上春樹とか、どうも最近の小説はうすくちに感じてしまいます。

三島由紀夫の『豊饒の海』

昔は、ほんとうに真剣に音楽を聴きましたが、本もよく読みました。

わたしが高校生の頃には、本を読むか、レコードを聴くしかありませんでした。

コンピューター・ゲームもなかったし、携帯はもちろんインターネットもなかったし、ビデオもなければパソコンもなかった。で、本と音楽には集中しました。

もちろんテレビとラジオはありましたよ。FM放送が、実験放送から本放送に変わった頃です。ラジオを聴いて、いい音楽をみつけて、レコードを買って、という生活でした。

そんな中で最も衝撃的だった事件がありました。三島由紀夫の割腹自殺です。昭和45年(1970年)の11月25日、高校2年のときでした。化学の先生が教室へ入ってきて開口一番、「三島由紀夫が自衛隊に乱入して腹を切って自殺した」と言いました。

時代はまだ建前にせよ、世の中に本当に偉いひとがいると信じられていたころで、作家のステータスはいまとは比べものにならないほど高かった時代です。特に三島由紀夫は、ノーベル文学賞候補にも何度か名前が挙がり、その上自身の写真集を出すなどのパフォーマンスでミーハーな人気もありました。まさしくスーパー・スターでしたから、日本中が大騒ぎになりました。

わたしは、その時点で三島作品はまだ『潮騒』1作しか読んでいなかったのですが、ものすごい衝撃を受け、新潮社の日本文学全集の三島由紀夫の巻を買って『仮面の告白』やら『金閣寺』やらを読んで、のめり込んでいきました。

年が明けて遺作となった『豊饒の海』四部作の最終刊『天人五衰』が発刊されました。三島由紀夫が自衛隊へ赴くその朝、自宅に呼んであった編集者に渡すようことづけて、最終回の原稿を残して家を出たという、その作品です。

四部作を全巻買い集め、春休みに一気に読みました。

『天人五衰』初刊本の装丁
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この四部作は各巻が二十年ごとの物語となっていて、60年に亘る時間が描かれています。『春の雪』『奔馬』『暁の寺』と読み進み、『天人五衰』に至ると、その60年の時間が瓦解する瞬間が描かれ、物語の中の記憶が、現実の記憶のようにひしひしと胸に迫って、二ヶ月ほどは読後の衝撃から抜け出られませんでした。

あれから40年経ちましたが、わたしにとって最も大切な小説です。

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筆者のプロフィール

  • 竹内 晃

  • 1953年巳年生まれ
    電子楽器メーカーコルグに30年間勤務。退職後インディーズチケットオンラインを立ち上げ、現在に至る。

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