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デジタル・カメラの撮像素子の大きさ

ライブハウスでの撮影を始めるに当たって、レンズの明るいカメラを探して買ったつもりだったんですが、あとになって知ったのは、デジタル・カメラの撮像素子の大きさに大きな差があることでした。

デジタル・カメラの撮像素子の大きさ
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上の図が、一般的に使われているデジタル・カメラの撮像素子の大きさですが、だいたい5種類くらいあります。

フルサイズというのが、35mmフィルムの大きさに近いもので、これだとフィルム時代の一眼レフ用交換レンズが使用可能です。高級一眼レフに使われています。

ひとサイズ小さいAPS-Cというのが、中級、エントリー機の一眼レフに使われている大きさです。

フォーサーズは、オリンパスやパナソニックのミラーレス一眼に使われている大きさです。

その下のふたつが、コンパクト・デジタル・カメラ使われているのもので、大半のデジカメは1/2.3、高級コンデジといわれる一部の機種で1/1.7のものが使われています。数字の単位はインチです。

わたしの買ったカメラは、1/1.7のものでした。

暗い場所での撮影は光が限られるため、大きい撮像素子で受光したほうが有利なのは間違いありません。

フィルム時代には、プロ専用の大判のフィルムを使うカメラを別にすれば、一眼レフからレンズ付きフィルムの使い捨てカメラまで、35mmフィルムという同じサイズのフィルムが使われていましたから、これは衝撃でした。

ライブハウスでの写真撮影

1週間前にライブハウスで撮った写真がうまく録れてなかったので、またぞろ新しいカメラが欲しくなってきました。とはいっても、「これだ!」というカメラはなかなか見つからないんですけどね。

写真はインディーズチケットオンラインを始めてから、撮るようになりました。ライブハウス以外ではほとんど写真は撮らないので、ライブハウス専門で撮っています。

ライブハウスでの撮影は結構難しいです。

暗い、逆光、被写体が動くという、写真撮影に厳しい条件が3つ重なっています。なかなか上手く撮れないところが、面白いところかもしれません。

暗いというのは、ライブハウスではアーティストに照明が当たっていないことが多いからです。

一般のステージ照明と違って、ライブハウスの照明は演奏効果を演出することが主目的で、必ずしもアーティストに光を当てるということではなさそうです。そのため、照明が客側に向いて、フロアからステージを見た場合逆光になっていることが多いです。

さらには、アーティストの希望で照明自体を暗くすることも多いですね。

フラッシュは、照明効果のじゃまになりますし、撮った写真も雰囲気をなくしてしまうので使えません。

そこで、明るいレンズで、高感度に強いカメラが必要になってきます。

ビートルズの二度と出てこない楽器

ビートルズのサウンドは、『ハード・デイズ・ナイト』まではいわゆるバンド・サウンドだったんですが、『ヘルプ!』あたりから変わってきます。

何が変わってきたかというと、バンドが演奏する音の範疇を超えて、1曲1曲の楽曲が要求するサウンドになっていきます。他のロック・バンドが、バンド・サウンドから抜け出ることがなかった中で、当時から特別なサウンドを作っていたと思います。

その先駆けとなったのは、「イエスタデイ」ですね。演奏はポールのアコースティックギターと弦楽四重奏で、他のメンバーは参加していません。

この点はレコーディング・プロデューサーのジョージ・マーティンの影響が大きいのでしょうが、1曲の中でたった1小節であっても、必要な楽器があるとなったら、あらゆる楽器奏者を連れてきてでも、レコーディングをしたという印象です。

それがまた、必要と思ったところだけにしか使わないという、非常に贅沢な使い方です。それが、ビートルズのサウンドを特別なものにしています。

一例を挙げれば、「イエロー・サブマリン」で、2コーラス目のサビに入る前に1ヶ所だけブラス・バンドの演奏が入ります。それがたった2小節しかなくて、その後ブラス・バンドの音は出てきません。

『イエロー・サブマリン』
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普通「ブラス・バンドが必要だよね」ってなったら、おそらくブラスバンド入りのアレンジを考えることになって、最後のサビのリフレインはブラスバンドのオンパレードになりそうなものですが、ビートルズの場合は2小節だけで終わって、もう二度と出てこないんです。

ビートルズの「ドライブ・マイ・カー」

『ハード・デイズ・ナイト』の頃からビートルズは、1曲目の重要性を考えていたように思います。

1曲目で聴く人をじゅうぶん引きつけることの重要さです。このブログの最初に書いた「ヘルプ!」もアルバムの1曲目でした。

以下がビートルズの主要なアルバムの1曲目の一覧です。

「ハード・デイズ・ナイト」
「ヘルプ!」
「ドライブ・マイ・カー」(『ラバー・ソウル』)
「タックス・マン」(『リボルバー』)
「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」
「バック・イン・ザ U.S.S.R.」(『ザ・ビートルズ』)
「カム・トゥゲザー」(『アビー・ロード』)

「バック・イン・ザ U.S.S.R.」は少し弱いような気もしますが、他はいずれもアルバムのトップを飾るにふさわしいインパクトの強い曲です。中でも最初に聴いたときの衝撃を鮮烈に思い出すのは、『ラバー・ソウル』の「ドライブ・マイ・カー」です。1965年という発表時期を考え合わせると、その斬新なサウンドには改めて驚かされます。今聴いてもすごい曲です。

『ラバー・ソウル』
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不安定感をただよわせるギターのイントロに続いて歌が出てきます。メイン・ヴォーカルのポール・マッカートニーはベースに対して四度上の音程を歌っています。ジョン・レノンのハモりが入っていますが、メイン・ヴォーカルの五度下です。ハモりは、ベースに対しては7thの音になります。

後半でジョージ・ハリスンがコーラスに加わって3声のコーラスになり、半音下がってサビとなります。この接続も魅力的です。

不思議なサウンドです。あんなサウンドの曲は、その後も聴いたことがありません。

ビートルズの『ハード・デイズ・ナイト』

ビートルズの曲は、いま聴いてもいろいろ発見があります。個々の曲はもとより、なによりアルバムの構成力がすごい。

ビートルズが登場するまで、アルバム(LP)というのは、シングルでヒットした曲を中心に、シングルにならなかった曲やら何やらを集めて1枚に仕立て上げたものでした。聴き終えて、「やっぱりヒット曲はいいよね」という、シングルのヒット曲の良さを再確認するような感想で終わるものだったのです。

それを逆転させて、アルバムこそ聴くべきものに押し上げたのが、ビートルズでした。

ビートルズのアルバムの中で、アルバムを構成しようという意志が明確になってきたのは、アルバム『ハード・デイズ・ナイト』以降だと思います。全曲オリジナル曲で構成されるようになったのも、このアルバムからです。

『ハード・デイズ・ナイト』
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『ハード・デイズ・ナイト』は同名の映画のサウンド・トラック盤でもあって、映画に使われた曲がA面に、B面は映画では使われていない曲が収録されています。

そういうふうに作られたアルバムであるにもかかわらず、1曲目の「ハード・デイズ・ナイト」から始まって「アイル・ビー・バック」で終わる流れがじゅうぶんに感じられるのは、なんとも不思議な気がします。ビートルズの曲作りの才能のなせる技なのでしょう。

村上隆の本

村上隆というアーティストがいます。去年の9月にフランスのベルサイユ宮殿で個展を開いて話題になりました。

その村上隆が『芸術起業論』と『芸術闘争論』という、2冊の本を書いています。

『芸術起業論』
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アートの世界で成功するには、作品が西洋美術史の中でどういう文脈を持っているかを示すことがいちばん大切なことで、自分がいかに戦ってきたかというのが最初の『芸術起業論』。

『芸術闘争論』
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2冊目の『芸術闘争論』は、二十世紀後半になってアートの世界の中心がフランスからイギリス、アメリカに移行し、流れが変わった中で何をすべきか。実作の方法にも言及し、美術教育に対する提言へと踏み込んでいます。

どちらの本も、最初から世界で戦う気力を喪失してしまったような日本の美術界の現状を憂いて、反面教師的に身も蓋もない成功への方法論の話をあけすけに書いています。音楽の世界と重ね合わせても非常に示唆に富む内容なので、わたしは感心しながら読みました。

音楽にも役立つ話として読む訳ですから、本来の文脈とはずれた読み方をしていることは重々承知の上で、なるほどと思った次のような一節がありました。

「よい作品を作るには通常作品の完成度が高いとか上手いというところに行きます。しかしそれは二番目のプライオリティです。
 いちばん大事なのはサプライズ、驚きです。」(『芸術闘争論』)

この文章は展覧会に出す良い作品はどういうものかについて述べた部分ですが、「ああそうだよなぁ」と納得したことを覚えています。

インディーズのCDでなかなかいいと思ったものでも、1曲目にインパクトがないことが多いんですね。

それにつけても、ビートルズのアルバムの1曲目には驚かされたよなぁということを思い出しました。

2011年5月24日のライブ

今回は昨日見てきたライブのレポートです。

場所は新宿URGA(ウルガ)です。新大久保と新宿の中間にある職安通り沿いにありました。

【TOKYO SWING vol.14】
2011年5月24日(火)開場18:00 開演18:30
出演:オワリズム/股下89/ギター大学/HOMME/悲鳴

HOMMEを見に行ったのですが、股下89や悲鳴もなかなかよくて、収穫のあったライブでした。

股下89
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HOMMEと股下89はいわゆるギャルバンです。ヴォーカルが多少脱力したところがあってサウンド的にも近い、ごつい感じのロックですが、さらに共通するのは、余計なパフォーマンスがなく、ひたすら演奏に集中するその姿勢です。そのせいか、いい音出してます。

HOMMEは、丁寧なドラミングと後半「deadspot」で聴けたギター・ソロが印象に残りました。

HOMME
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どうも最近の男のバンドは、演奏以外の部分に目がいっているかもしれないなぁと改めて思った次第です。

悲鳴
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悲鳴はベースが女性で、他は男性ですが、ちょっと暴れすぎかも。音的には面白い部分もありました。もう少し丁寧に演奏してくれたら、かなりいいんじゃないかと思いながら、帰ってきました。

キング・クリムゾンの「スターレス」

マーラーのことをいろいろ書いて来ましたが、改めて思うのは、わたしが音楽に感動するのは、何かが解き放たれ、それが予想を超えていくときだということです。予想を超えていくという感覚は不思議なもので、1回聴いたら結果が分かって2回目以降は予想が出来る、というのとは違うのです。

予想を超えていくものは、何回聴いても何かを超えていき、感動してしまうということなのです。学習能力がないのかなぁとか思ってしまいます。

そろそろロックの話もしておこうと思うので、予想を超えていく曲を1曲紹介しておきます。キング・クリムゾンの「スターレス」という曲です。『レッド』というアルバムの最後に収録されています。

『レッド』
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「スターレス」は全体で12分を超える長い曲ですが、前半はゆったりしたバラード系のボーカル曲です。後半インスツルメント曲となり、ギターの同音反復が延々と繰り返され、パーカッションとドラムスによって様々に変奏されていき、ひたひたと盛り上がって、突然曲調が変わると、はじけたようにサックスのソロとギターのソロが入ります。そして、最後にイントロのメロディーがサックスとギターのユニゾンで再現されて頂点に達し、幕を閉じます。

頂点に達したとき、別の視界が開け、何かがかいま見えるのです。

エリアフ・インバル

ロバート・アシュレイ指揮、プロ・ムジカ交響楽団の「交響曲第5番」を聴いてから10年後、マーラーに新たなブームが起こりました。エリアフ・インバルのマーラーです。

それまでの指揮者の個性を情熱的に楽曲へ投影していくマーラー演奏の常道から一転し、楽譜を詳細に読み込んで楽譜を忠実に再現しようとするインバルのマーラーは、新時代のマーラーへの嚆矢となりました。

背景には、1980年代に入ってCDの時代となり、当初はアナログ録音されたテープからCDを製作していたレコード会社に、最初からデジタルで録音しようという動きが起こったことがあります。

その時期に日本コロムビアがクラシックのデジタル録音のために、白羽の矢を立てたのがエリアフ・インバルとフランクフルト放送交響楽団によるマーラーだったのです。

インバルの指揮法と、デジタル録音の効果を世に示すべく、すべての音を精緻に聴かせたいというコロムビアの目論見がうまく合致したという幸運もありました。分析的ともいわれるインバルのマーラーですが、その手法は現在では主流の演奏法となっています。

とはいっても、わたしはロバート・アシュレイのマーラー以外に特別知るものはなかったので、ブームに乗せられていただけかもしれません。マーラーの交響曲は、この時期にインバルでCDを揃えました。

『マーラー:交響曲第5番』
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マーラーの音楽

実はわたしが小学生の頃には、マーラーという作曲家は、一般の人にとっては無名の作曲家でした。

それが高校生の頃になると、音楽の教科書の口絵に、バッハやベートーヴェン、モーツァルトと並んで写真が掲載されるようになりました。その後もどんどん人気が上がって、いまやオーケストラの演奏会においては最大の人気作曲家となっています。

マーラーの音楽の特徴は、非常に内面的なナイーヴなところから着想して、重層的で長大な作品に発展するという点にあります。その点が、20世紀の後半になって、個の時代への転換の波に乗り、評価を高めた要因かと思います。

そういった点で、大部の小説「失われた時を求めて」を書いたフランスの小説家マルセル・プルーストと共通する部分があります。

共にユダヤ系、7月生まれで、生きた時代も19世紀の終わりから20世紀の初頭に掛けてでした。同じく50歳前後で亡くなるまで作品を書き続け、未完の作品を残し、かつ今その未完の部分を含めて今わたしたちが享受することが出来ているという点でも似ています。

マーラーは、その1番から10番までの交響曲全体が大河小説のようなものだといわれたりします。(ますますプルースト的!) そのせいもあってか、最近はCDの交響曲全集では、曲ごとに盤を分けずに楽章単位で連続して収録されたりします。

まあ、単純にCDの枚数を減らして価格を安くするため間を詰めたという営業的理由のようですが、デジタル・音楽プレーヤーの普及によって、全交響曲を通しで聴く、そういうスタイルも可能になったということでもあります。

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筆者のプロフィール

  • 竹内 晃

  • 1953年巳年生まれ
    電子楽器メーカーコルグに30年間勤務。退職後インディーズチケットオンラインを立ち上げ、現在に至る。

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